しかしこのビジネス、やっぱりちょっと気持ち悪い。猫や犬を愛するというのはどういうことなのかを改めて考えてみると、この技術の意味がよくわからなくなる。
犬の「見た目」を愛するのなら、クローン技術は役に立つかもしれない。毛並みの良いチャンピオン犬のクローンを作れば、かなり元の犬と似たクローンが産まれるだろうから、それで儲かったりするのかもしれない。しかし、こういう「愛し方」ってちょっとちがうんじゃないのと僕は思ってしまう。
犬であれ猫であれ、個々の動物に名前を付けて、「交換不能」な存在として付き合うというのが普通だろう。個々の犬とずっと寄り添い、ずっと関わってきたという歴史が飼い主との絆を形成する。共に過ごすことで時間をかけて築いた一回きりの関係だからこそ、そこに大きな意味が生じる。
そういう意味で言うと、クローン技術によって同じ遺伝子の犬を作ったとしても、それは「別の犬」であって、元の犬と同じものでは絶対にあり得ない。死んでしまった愛犬の遺伝子からクローン犬を作っても、それは元の犬の復活とは言えない。大事なのは「遺伝子」ではない。個々の犬と築きあげられた「関係」こそが大事なのだ。
この先、クローン技術はさらに進み、広まっていくのだとは思う。しかし、それが人と人、人と動物の「関係」の軽視とつながるのだとしたら、それは病的な社会をもたらすものだとしか思えない。





