「トム・ヨークは“これは困った”とかピアノの前で30分も歌ってやがんだろ。俺たちみんなわかってんだよ、ヨークさん。ニュースのことなんか歌うな。あいつがどれだけ“僕らはみんな終わりだ”とかのらりくらりしてようが、最終的にみんなが聴きたいのは“Creep”なんだよ。いい加減にあきらめろよ」
「U2も同じだ。“One”をプレイしろ。アフリカのことなんか黙ってろ!」
世の中には深刻な問題がたくさんあって、多くの人が知らず知らずのうちにそういう問題と関わっている。そして、それに気付くきっかけとして、こういったミュージシャンの活動の効果は計り知れないものがある。多くの人は日々の生活の中では、そういった問題からつい眼を離そうとしがちだ。だから、トム・ヨークやボノがそれらを「忘れずにいさせてくれる」ことはとても意味あることだと僕は思う。「そんなのもうわかってるから、クリープをやれ」なんて、誰が言うものか・・。だいたい、アフリカの問題や環境問題などに積極的に関わる彼らの行為を非難するのは、かなり屈折している。問題への関わり方とか手法とかを批判し、より優れた解決法を示すのであればいいのだけれど、ノエルの発言はまったく生産的ではない。
こういう発言は結局、人間のひねくれた黒い部分をくすぐり、憎悪感情を煽るものでしかない。中には、オアシスもU2もレディオヘッドも好きだというファンもいるだろうに、どうしてここまで他のミュージシャンの足を引っ張ろうとするのか?

リアム・ギャラガーは、ビートルズの『Love』を「クズだ」と酷評して、こんなことも言っている。「いまだにビートルズを理解できねえ奴は、この先もわかんねえよ。俺の中にはビートルズが詰まってるぜ」

ノエル・ギャラガーは子どもが嫌いらしく、こんなことまで言っている。「あいつら(子供たち)は、間抜けだ。大バカだよ。ちびっこくて、うるさくて、くさくて、ちっちゃな悪魔だ! 手間はかかるし、年中泣き喚きやがって。赤ん坊が寝てると、静かにしてなきゃいけないだろ。ふざけんなよ! ここは俺の家だ。ボスは俺だ」
これほどまでに「愛」の無い人間が、ビートルズがわかっているのは俺たちだけだみたいな顔をするというのも意外である。ここには、僕の心のオアシスは無さそうだ。
(ミュージシャンについてネガティブなことを書くのはやめとこうと思っていたのだけれど、やっちゃった・・。これがたぶん、最初で最後です、笑・・)


追記:トム・ヨークがこの件でコメントしたようです。するどい一言。
↓
トム・ヨーク VS ノエル・ギャラガー