『僕の名前はルカ。2階の部屋に住んでいる。
君の部屋の上の部屋だから、僕のことを見たことがあるでしょう?
もし、夜遅くに何か、もめごとの物音を聞いても、
争いごとの音を聞いても、
何があったのかは僕に聞かないで・・・』
一部を日本語に翻訳するとこんな感じだ。そう、これは虐待にあっている子が「そのことについて何も聞かないで」と訴える悲しい歌なのだ。虐待されていることについて触れて欲しくないと言うルカ。おそらく、イジメについても同じ面があるように思う。いじめられていることを他人に知られることは、自分のネガティブな部分を他人に知られてしまうこと。そして、その現実にあらためて向き合わされること。それに抵抗を感じる心理もこう考えれば理解できよう。たとえ両親にであっても、非常に言いにくいものであるということを我々は承知しなくてはならない。だから、いじめられていた子がそれを周囲にうまく伝えていないことを絶対に責めてはいけないのだと思う。
また、同様の理由で、マスコミは間違っても「文部科学大臣に手紙を書いたのはこの子でした!」なんて報道をしてはいけない。マスコミはこの子を探そうとすることすら、完全に慎むべきだろう。
YouTube スザンヌ・ベガ「ルカ」PV
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「ルカ」のミュージック・ビデオ。繊細で危うい感じのスザンヌ・ヴェガがとても美しく、せつない。曲調は暗くはなく、心癒されるポップ・ソングになっている。

Suzanne Vega『Solitude Standing』←アルバム試聴+ダウンロード購入可能
YouTube スザンヌ・ベガ「Solitude Standing」PV
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アルバム表題曲のミュージック・ビデオ。躍動感あるバンド演奏と、か細いながら凛と立つスザンヌ・ヴェガの姿が美しく、かっこいい。そしてやはり、危うい。この危うさは彼女の多くの作品に共通しているが、僕の心をとらえて離さない彼女の魅力の一つだ。
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子供の自殺という悲しいニュースが続いてますね。
子供が発するSOSを大人は見逃すべきではないとも思います。
岐阜の女の子の件は、教室で泣いているのを目撃しながら、声もかけなかったという教師に憤りを覚えました。
Luka、このアルバムは、うちでCDを買い始めて1年以内に買ったので、
今となってはむしろ想い出、という感じもします。
この曲は確かに、当時歌詞を読んで、いろいろ思ったりしました。
グラミー授賞式で、彼女が、アコ1本で歌っていたのを見て、
またこの歌が好きになりました。
私は「いじめ」も「児童虐待」も、明確な犯罪であることを隠す表現のような気がしてならないのです。とくに「いじめ」という言葉に、そう感じます。「虐待」を受けてしまってる子供も「いじめ」を受けてしまってる子供も、ルカのように自分からは言い出せないことでしょう。。。気づかなければいけないのは…
子供が発するSOSをいかにしてキャッチするか、そして、「知られたくない」子供の心理を乗り越えて、いかに包み込んで守ってやるか・・・簡単なことではないのだとは思いますが、周囲の大人たちが子どもと真っ向から向き合う姿勢を示す必要があるんでしょうね。
僕はスザンヌ・ヴェガの音楽をリアル・タイムでは聴いてこなかったんですが、比較的最近になってからはまりました。ライブの映像もいくつかユーチューブで見れますが、バンドのライブも弾き語りも、アカペラも(!)素晴らしいですね。今回いろいろ見て、僕もますます好きになりました。
いじめ・虐待、どちらもたしかに大きな問題ですが、難しい点がいくつもあります。たとえば、「いじめとからかい」「しつけと虐待」の区別は実際には難しいこともある・・。いじめや虐待を「犯罪」としてすっぱりと切り捨てられないのには、こういう事情があるような気がします。
それから、児童虐待については、それをしてしまう親に対して「虐待は犯罪だからやめろ」と言ってもおそらく解決しないでしょう・・。虐待が起こってしまうのは、たとえば育児負担がとても大きいこととか、育児以外の刺激が少なく閉じこもってしまうこととか、母親をちゃんと認めてくれる人がいないこととか・・・いろんな歪みが積み重なった結果なんだと思います。虐待を受けたことのある人は虐待をしやすいという話もありますが、被虐待経験も「歪み」の一因になり得るということでしょう。難しい問題ですね・・。
「マスコミはこの子を探そうとすることすら、完全に慎むべきだろう」本当にそう思います。
前から思っていたのですが、自殺を考えてる人がSOSを誰に伝えた良いのか分からないのでは?と思います。
なので今回の様な事が起きたのかとも思います。
つまり手紙の子は「生きたい」と願ってるはずです!
これを機会にテレビCMで、「いじめ110番」を作って本当に真剣なスタッフが力になって欲しいです。
今度は高校二年の女の子ですか・・。う〜ん・・これはすでに連鎖が始まっていると見るべきか、それともいたずらの連鎖が起こっているだけなのか・・・。しかし、こういう情報公開の悪い面が出てしまう可能性は否定できませんね・・。
文部科学大臣も東京都の教育委員会の人も、「誰かに相談して」とか「周囲に相談する勇気を持って」なんてことを言ってますが、手紙を出してきている子は相談しても聞き入れられなかったと書いてるのだから、ちょっと的外れな対応ではないかと思うんですよね。
こういう手紙を書くこと自体がSOSと考えられるので、生きたいとは願っているはずですよね。
「いじめ」という言葉は、すごく軽い響きを持っているような気がしています。実際の陰湿さがかき消されてしまうような…。
とうとう明日が指定された11日ですね。嫌なニュースが飛び込んでこないことを祈るばかりです。
僕は「いじめ」という言葉にぞっとくるものを感じるので、軽い響きがあるとは思っていないのですが、ひとつ前の記事で触れたように今の中学生・高校生は「いじめ」を普通のこととしてとらえてるようですね・・。
明日、何も起こらずに、なんだやっぱりイタズラかよ・・・って感じで終わればいいんですが。もちろん、そうであっても、イジメについての認識が変わっていかなくてはいけませんが。
スザンヌ・ヴェガの名曲「ルカ(Luka)」の歌詞の意味を知って驚きました。
もしも宜しかったらTB承認お願いします。
(暗いブログなので)
この曲が児童虐待の歌だと知ったときにはかなりショックでしたね。あの明るい曲調からはとても想像が付かないです。
そういえば私がつとめていた職場に、虐待を疑わせるようなあざをもった子供が来たことがあります。
本人曰く、「父に殴られた」とのこと。
あとでその体の写真を撮り、児童相談所に通報する騒ぎになったなったのですが、それ以来一度も顔を見せることがなかったので、非常に心配なところです。
彼女の音楽は以前私のブログで取り上げたので、後ほどTBさせていただきますね。
ルカの歌詞、曲の雰囲気からはちょっと想像できないものかもしれませんね。
赤ちゃんポスト、大きな話題になっていますね。児童虐待などが起こってしまうくらいなら、こういうシステムによって愛情を注いでくれる家庭にいけたほうがいいという考え方、たしかにありえますね・・・。これはとても難しい議論です・・。
ルカの曲調は明るめですからね。カラッと明るいというわけではありませんが。
児童虐待は本当に悲しいですよね・・。学校内でのイジメよりも重大な傷を残すことになる可能性も高いですし・・・。
「ルカ」に出てくる子供のように、子供って時に大人より深くピュアに物事を考えていたり、犠牲心があったりしますよね。
大人に比べると、内にこもってしまうのは、外へ向けての情報発信や感情を伝える術が少ないのもあると思います。
だから子供はじっと見て観察するだけではなく、普段から色々感じ取ってやらなければならない。
観察力と言う意味では子供の方がありますもんね。
そうですよね・・。大人になる過程で、我々の神経はどんどん図太く、鈍くなっている気がします・・・。子供の方からの働きかけを待つだけではなくて、積極的に面と向かっていくようでないと、なかなか子供のことはわからないものでしょうね。